「あのお祭りを復活させたい」。丘珠空港のすぐ近くにある栄町中央商店街は、地域の問題解決や活性化に、自ら取り組む文化をもった商店街です。ここには十数年前まで「ハッチロード夏祭り」という大規模なお祭りがありました。「一商店街がやっているとは思えないくらい大きくて、人がたくさん集まる楽しいお祭りだった」と、多くの住民の心に残っている大切なお祭り。冒頭のような言葉が、商店街振興組合理事の福崎紀子さんのもとに届きます。

栄町中央商店街振興組合理事 福崎紀子さん

“この商店街は自治で物事を始める風土と、古くから開催されていたお祭りの歴史があって、それが魅力です。でも、商店街は高齢化が進み、復活させるには実行力が足りない状況にあります。そんなときに出会えたのが、大谷大学や北星大学、開成高校などの学生や先生たちでした。

「自治と歴史」というこの商店街の魅力を、お祭りを通じて表現していく。途切れてしまったこの歴史に、「地域の大学・高校」という新たなプレーヤーが入ることで一歩を踏みだしました。

素人歌舞伎、お祭り。「表現する」商店街
 この地域が烈々布(レツレップ)と呼ばれていた時代、この辺りには素人歌舞伎という文化がありました。出演者は地元のお百姓や青年団。化粧にカツラはもちろん、衣裳も工面し、最終的には自分たちで舞台も持って興業をするという、本格的な歌舞伎だったと言われています。明治後期の1902年、秋祭りの余興として神社の境内で演じられたのを始まりに、1934年までの30年余り、人々の暮らしを彩る娯楽として親しまれていました。その後、開発が進んで人口が増加すると、1975年には現在の商店街の前身である任意組合「栄町8丁目商工会」が誕生し、1985年に商店街と町内会が独自で開催する夏祭り「ハッチロード夏祭り」が始まりました。さまざまな催しがありましたが、壮大なパレードが見どころで、地域の人はもちろん、地域外からもプロの踊り手が参加し、仮装やパフォーマンスをしながら街を練り歩き観客を沸かせました。しかしこの愛されたお祭りも、十数年前に中心人物が亡くなったのを機に自然消滅していきました。
 どちらも地域住民が表現を楽しみながら、自らの手で娯楽を作りあげてきたというストーリーをもち、残念ながら、数十年の一時代でなくなっているという点も共通しています。

未来に残したいものを見つける
 2015年3月1日、「ハッチロード夏祭り」の復活に向けて、商店街や地域住民の方、大学生、地元企業や金融機関の方などの総勢28名が福祉センターに集まりました。会の始まりにあたり進行役の遠藤淳さんはこのように語ります。

進行役 遠藤淳さん

“今日はこの地域の歴史を学び、思い出しながら、未来に残せるものを掘り起していく会です。今年の夏には、途絶えていたお祭りを復活させていきます。歴史とかつてのお祭りをどんな風に表現できるのか。アイデアを出し合っていきましょう。”

 商店街の地図を広げ、現在住んでいる場所、よく利用する場所、思い出の場所などを、色違いのシールを貼って明確にしていきます。思い出を語り、生活・日常の歴史を伝えるのは地域の人。そのエッセンスを拾い、メモをとるのは大学生です。その中から「未来に残して伝えていきたいこと」を話し合い、それをどのように表現していくのか、アイデアを出しました。 「夏祭りで地域の声を募集する」「ゲームや踊りなど子どもが集まるステージづくり」「来場者が歌舞伎のお面をつけて演劇をする」「掩体(えんたい)※があった歴史にちなんで、それをみんなで製作して昔の写真を飾る」などのアイデアが生まれてきました。

※掩体(えんたい):戦時中に作られた、装備や物資、人員などを隠し、敵の攻撃から守るための施設。かつて丘珠空港に飛行機を隠すために掩体があり、終戦後は子どもたちの遊び場・隠れ家になっていた。


伝説の夏祭りの復活に向けて
 ここで出てきたアイデアをもとに、地域の大学生・高校生たちと商店街が一緒に、「ハッチロード夏祭り」を復活させます。過去と未来をつなげる展示や、子どもが地域・商店街の高齢者とコミュニケーションができるように、商店街スタンプシール「はっちシール」を利用するなどのアイデアが検討されています。歴史を未来に継承し、それを通じて子どもたちが地域に誇りや愛着を持てるようなお祭りを作っていく。お祭りを通して、栄町に将来帰ってきたくなる「ふるさとづくり」の一端を商店街が担おうとしています。


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